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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)1448号 判決 1960年9月21日

主文

被告人北野惣太郎に対する私文書偽造、同行使並びに横領、被告人田中繁雄に対する私文書偽造、同行使、横領並びに偽証、被告人一瀬幸伍に対する私文書偽造、同行使、横領並びに偽証教唆、の各公訴事実につき、被告人等はいずれも無罪。

理由

第一、私文書偽造、同行使、横領の事実につき無罪の云渡をした理由(被告人三名に共通の事実)

本件公訴事実の要旨は、被告人北野惣太郎は、昭和三十一年五月十六日頃、木村義雄との間に、金二百六十万円を貸し付けること、木村義雄は右金員を持つて同人及び同人の父木村帛所有名義の大阪市城東区別所町二百十五番地の一所在の家屋二棟及び田地二反十四歩につき債権者株式会社近畿相互銀行外一名のため設定された根抵当権設定登記等を抹消した上、所有権を留保したまま前記貸金の担保として又他の債権者からの差押えを免れるため、登記簿上の所有名義を被告人北野惣太郎名義に移すこと、被告人北野惣太郎は右土地建物等を利用して釣池の経営をなし右金員の返済をうけたときは何時にてもその所有名義の返還に応じ第三者特に宗教法人念法真教には所有権を移転しない旨の特約をなし、同月十八日、前記家屋二棟については所有権移転登記を、田地二反十四歩については所有権移転請求権保全の仮登記をそれぞれ北野惣太郎名義になして関係書類一切を預り前記木村義雄らのために右不動産を保管していたもの、被告人田中義雄は被告人北野惣太郎の友人であり、被告人一瀬幸伍は前記念法真教の執事であるところ、被告人北野惣太郎、同田中繁雄、同一瀬幸伍は共謀の上、右各不動産を宗教法人念法真教の所有名議に移して横領しようと企て、同年五月十八日頃、同市旭区森小路町七丁目二十八番地念法真教の教務本庁において、行使の目的をもつて、木村義雄名義を冒用し、擅にその名下に購入用意した木村の認印を押捺して、大阪市東区城東農業委員会宛の前記田地二反十四歩が非農地であることを証明されたい旨の私文書である非農地証明願書二通を作成して偽造を遂げ、その頃、同市城東区蒲生町四丁目四百番地の同委員会において、係員に対し右偽造にかかる願書二通を一括提出して行使し、同委員会長浅野卯之助より右の内一通につき奥書承認を受け、同年六月十二日、前記念法真教に対し、擅に前記家屋二棟及び田地二反十四歩等を代金二百七十五万円にて売却し、翌十三日、大阪法務局において、右の旨の所有権移転登記申請書類に前記非農地証明書一通を添付して提出し、同日右の旨登記を完了して前記不動産を横領したものである。と謂うにある。

そこで考えてみるのに、大阪法務局事務官中井竜一及び宇賀田千代蔵作成の登記簿謄本によると、本件において横領したとされている物件は、登記簿上、

(一)  大阪市城東区別所町二百十五番地の一、家屋番号同町第二番、木造セメント瓦葺平家建休憩所、自転車置場、建坪六十坪四合(以下においては(一)の建物と略称する。)

(二)  同町二百二十一番地の一、家屋番号同町第一番、木造瓦葺平家建住宅一棟、建坪四十三坪(以下においては(二)の建物と略称する。)及び(三)、同町二百十五番地の一、田二反十四歩(以下においては(三)の土地と略称する。)の三ケのものであるが、右(一)の建物については、木村義雄の所有名義であつたところ昭和三十一年五月十八日付で北野惣太郎に、右(二)の建物については、木村帛の所有名義であつたところ同日付で北野惣太郎に、いずれも所有権移転登記がなされ、右(三)の土地については、木村義雄の所有名義のまま同日付で北野惣太郎名義に所有権移転請求権保全の仮登記がなされており、その後、昭和三十一年六月十三日、右(一)及び(二)の建物については、北野惣太郎から宗教法人念法真教に所有権移転登記がなされ、右(三)の土地については、右北野惣太郎名義の仮登記を抹消の上、木村義雄から宗教法人念法真教に所有権移転登記のなされている事実を認めることができる。

ところで、検察官の主張するところによると、右(一)及び(二)の建物につき所有権移転登記が、右(三)の土地につき所有権移転請求権保全の仮登記が、いずれも被告人北野惣太郎名義になされているのは右不動産の所有権を真実北野惣太郎に移転する意図をもつてされたものではなく、被告人北野惣太郎から木村義雄に対し貸し付けるべき金二百六十万円の担保としての意味と、他の債権者からの差押を免れようとの意図をもつて、その所有権を木村義雄及び木村帛に留保したまま、ただ一時登記簿上の名義だけを移転し、後日これを木村義雄らに返還するとの約束の下になされたものである。従つて、被告人北野惣太郎は、右不動産を木村義雄及び木村帛のために預り保管していたに過ぎなく、これを処分する権限を保有していなかつたのであるから、これらの事情を知りながら、被告人三名において、右不動産の所有名義を宗教法人念法真教に移転した行為は横領罪を構成すると云うにある。これに対し被告人らは、検察官の右のような主張を否認し、右(一)乃至(三)の不動産はいずれも被告人北野惣太郎において、これを木村義雄らから買受けたものであつて、預り保管していたのではないから、右不動産の所有名義を宗教法人念法真教に移転したとしても、横領罪に問責されるいわれはない、と云うにある。

そこで、右不動産につき被告人北野惣太郎名義の登記がなされるに至つた原因につき検討を加えてみるに、本件につき取り調べた証拠によると、右のような登記がなされるについては、被告人北野惣太郎と木村義雄及び同人の妻富美代との間において話し合いが進められ、契約書類その他登記関係書類は司法書士福井清鬼の関与の下に作成されたと認められるのであるが、まず契約当事者の一方である木村義雄の第十五回公判調書中の供述記載によると、同人は当公廷において、「父帛が多額の借金をしていたのであるが、長男である自分のところに責任をもてとやいやい云つてくる。それで自分としてはどうしてよいか迷つていた。妻の富美代が大阪北部ヘラ鮒釣連合会の方で金を借りようとしたこともあつた。丁度その頃、自分と同じく念法真教の信者で、近くに住んで心安い被告人北野惣太郎が来て、連合会の方へ渡すのなら、自分がだいてやろう。そして、金が出来れば何時でも返してやろうと、土地や建物を担保にして金を貸してやるという意味の話を持ち込んで来たので、同じ信者の云うことでもあるし信用してその話に応じることにした。最初は(一)の建物と(三)の土地とで二百万円借りることにしていたが、その後父帛の所有名義である(二)の建物をも含めて二百五十万円借りることにした。父は当時家に居なかつたので承諾をえていなかつたが、机の中に入つていた印鑑を使用することにした。借用金額は二百五十万円であるが、二百万円の証書も作つておいた。借用金を何時までに返すという話をしていないし、又返す場合の金額や利息のことも決めていない。北野との間に作つた証書類が売買ということになつていることについては、内容をよく見ずに北野を信用してめくら印を押したので知らなかつた。」との旨の供述をなし、右義雄の妻富美代の第八回公判調書中の供述記載によると、同人も又当公廷において右義雄とほぼ同旨の供述をなし、「北野の話では、寺(念法真教のこと)や連合会に売つたら、もう自分のものにかえらないから、私が一時お金を出してだいてやるから、で、あんたらもしばらくこの家におらないで出て行つても、私の名義にしておくと、債権者の人が来ても本人もおらんのやし、私の名義になつているのやから、債権者の人を帰してあげる、と云うことであつた。北野が一時お金を出してだいてやると云う話は、自分が権利を持つてやる、預つてやるとの意味にとつた。北野が買うという話ではなかつた。当時は北野をいい人だと思つていたので信用していたわけである。北野との間に何時までだいてて貰うと云う話はなく、又金利の話もなかつたが、北野が釣堀を経営することになるので、その収益で利息として充分であつたと思う。父は当時家に居なかつたが二日程して帰つて来たのでその旨の話をすると承知していた。証書類が売買ということになつているのは、別段売つたつもりではないのであるが、北野から一時自分の名前にしておかんと債権者に対して言訳が立たんという話があつてそうしたわけである。二百万円と二百五十万円との二通の証書ができているのは私の希望によつてそうしたのである。二百万円の方は父に見せるためのものである。後日更に十万円増えているのは父が北野と交渉して決めたものである。結局私方としては百九十万円受取り、残金は北野が持つて来たが受取ることを拒んだのでそのままになつている。当時の私方には約四百万円位の借金があり、銀行から差押えられるし、中野きたという人から早く金を返さんと権利証書を寺の方え持つていくと云われており、あわてていた。」との旨の供述をなしているのである。そして、木村義雄の父木村帛の第九回公判調書中の供述記載によると、同人もまた当公廷において右と同旨の供述をなし、「嫁の富美代からこの話を聞いて一両日後、北野のところえ行つて話を聞くと、やはり嫁が云うていたのと同様だいてやる、いつでも戻してやると云うことであつた。契約内容が売買になつているので怒つたが、北野にそのことを云うと、いつでも金さえ出来れば戻してやるというので安心した。十七日に(昭和三十一年五月十七日のこと)北野から二十万円を受領した。最初は十万円しか渡せないといつていたのを倍にして貰つた。これは借用金の範囲内で自分の取分を増したつもりでいる。この時の領収書が売買代金の内金となつていることは、暗くて内容をよく見なかつたので知らない。自分としては売つたつもりはない。」との旨の供述をしている。このように、木村帛及び木村義雄夫婦の当公廷において供述するところは、いずれも、本件(一)乃至(三)の不動産は北野惣太郎に対し売却したのではなくして、借用金の担保として登記名義だけを一時同人に移し、併せて債権者の追及から免れようとしたもので、金さえ持つて行けば何時でも名義を元どおりにしてくれるという約束があつたというところにあり、それは検察官の前記主張に添うような内容を有していると考えられる。

ところで、右のうち「金さえ持つて行けば何時でも登記を元どおりにしてくれる」という話があつたとの供述については、本件不動産についての契約書類及び登記関係書類の作成に当つた司法書士福井清鬼の第七回公判調書中の供述記載のうち「北野の話では、帛がよく家を明けてその上借金が多い。そのままにしておくと家も金も全部よそに取られてしまう。この際自分に名義を切替えて、後日、義雄のとこが芽を吹いて、まあ金ができた時に、何時でも登記をしてやるんだとのことであつた。」との旨の部分と、当日たまたま右福井の事務所に来合していた高岡惣太郎の検察官に対する供述調書中、「その時北野は私に自慢話のように、今木村帛の家では、帛が極道をして借金だらけになり、息子や嫁さん達が困り果て住んでいる家を売りたいという話をしておつたので、自分は可愛想だと思い二百五十万円位で一応買つてやることにして、もし金を持つて来たら何時でも返してやることにしてやつた。」との部分及び被告人北野惣太郎の検察官に対する昭和三十三年五月十五日付供述調書中、「私は二人(義雄と富美代のこと)に対して、私が買受け三、四ヶ月は持つていてあげますから、その家は何時でもお金を持つて来たら相談に応じると云つておきました。相談に応じるということは返してあげるという意味であります。」との部分に照して、そのような話し合いがあつたことを認めうるのであるが、それが直ちに木村義雄らの供述するように、一時登記名義だけを移しておいて後日その名義を返して貰うと云う意味、換言すると、借入金の担保として名義だけを移しているのであるから、それに相当する金額を返還すれば当然名義をもとに戻して貰えるとの趣旨にとれないことは、前記福井清鬼及び高岡惣太郎の供述記載部分に照して明らかであろうと考えられ、更にそのような話し合いが他えの処分を禁止する程の強い意味をもつものでもないことは、当時の木村義雄にはそれを買い戻しうる程の見込がなかつたとのことと、第七回公判調書中証人福井清鬼の供述記載中、「どうせ夜逃げ同様になるのだから、買戻しというても相当の年月を要するのであろうし、本人同志の紳士協定のように考えていた。」との旨の記載と、契約証書の外、本件土地、建物などについて北野惣太郎の方で如何様に処分するも異議ない旨の覚書及び差入書を木村義雄及び木村帛名義で作成しているとのことなどを綜合すると、これ又認めうるところであり、右のような話し合いは、契約の内容というよりも、むしろ一種の契約締結に際しての動機とみるのが至当であろうと思われるのである。そして更に、木村義雄らは、前記のように、「北野には本件物件を売つたのではなく、金を借りたその担保として名義だけを預けたのである。」との旨の供述をしているのであるが、右の契約に関与した他の者の供述乃至供述記載中には、そのような話し合いがあつたことを認めるに足る部分がないばかりか、右契約につき作成された書類即ち契約証書、委任状、覚書差入証、領収書など、いずれも売買を内容とするものであつて、貸借及びそれに伴う担保契約の存在を内容とする書類は一切作成されていない上、消費貸借(借入金)とすればまず当然にあるべき利息及び返済期限の定めがなく、二百五十万円の本当の証書の外に、木村帛に示すためのものとして二百万円の証書を作成しているなど、受領金員の返済を予定していないことを窺わしめる事実の存在していることを綜合すると、木村義雄らの右のような供述に全幅の信用を寄せるわけにはゆかないと思われる。もつとも、佃順太郎作成の鑑定書と題する書面(民事の訴訟に提出されたものの謄本)によると、本件(一)乃至(三)の土地、建物及び溜池の権利の当時の評価額は金四百六十九万千二百円となつており、被告人北野惣太郎から木村義雄らに交付されるべき金員二百六十万円との間には、可なりの開きがあり、そのことからして或は右契約が売買ではないと考える余地があるかもしれないけれども、前記木村帛、木村富美代、木村義雄の供述記載によつて認められる、当時の木村家は約四百万円の支払うべき借財あつた上、担保として提供していた本件土地、建物が債権者の手に渡るべき状況にあつて、早急にまとまつた金員を入手したいとの事情にあつた事実と、木村義雄夫婦が父帛に内緒で五十万円取得しようとしていたとの事実とを併せ考えると、いわば処分を急いでいたと考えられ、価格が安いとのことをもつて、右の契約が売買ではないと認めることはできないと思われる。そして、第八回公判調書中証人木村富美代の供述記載中には、証書類の内容がいずれも売買となつているのは、他の債権者の追及を免れるための仮装のものであるとの旨の部分があるけれども、前記のように、売買の内容に反する書面が一切作られていないとの事情と、基本となる契約書についてはともかくとしても、後日木村帛が北野から受領した二十万円の領収書についてまで、売買代金の内金とする旨明記されているとの事実などを考え合せてみると、果して仮装のものと云えるかどおか疑わしいと云うべく、更に又、同供述記載中の、北野が本件土地、建物を利用して釣池を経営することによる利益をもつて利息とする旨の話し合いがあつたとの部分についても、その旨の供述をしているのは同女のみである上、釣堀の経営による収益が、二百六十万円の元本に対する利息として、木村家と特別に関係のない北野の承認しうるものかどおか多分に疑問の存するところと併せ考えると、これ又同女の云う利息の約束があつたかどおか疑わしいと云うべきである。

このように考えてくると、登記名義移転の原因となるべき木村義雄と被告人北野惣太郎との間の契約は、検察官が主張するように、所有権を留保して登記名義だけを移転したとみるには多くの疑問があり、むしろそれは、被告人らが主張するように、所有権の移転を伴うところの売買とみるべきであろうと考えられる。そうであるから、被告人ら三名が相談の上、本件(一)乃至(三)の物件を、宗教法人念法真教に売却したとしても、当時すでに右物件の所有権は被告人北野惣太郎に移つていたと認むべき情況が存するから、「自己ノ占有スル他人ノ物」を領得したとは云えず、従つて横領罪を構成するものとしてはなお疑問が存すると云わなければならない。

次に私文書偽造、同行使の事実について考えてみる。

被告人らの検察官に対する供述調書、第十五回公判調書中証人木村義雄の供述記載、岡村広道(第一回)、東田至弘の検察官に対する各供述調書によると、被告人ら三名は、前記(三)の土地につき宗教法人念法真教に移転登記をするに際し、右土地の現況が宅地であつた上、地目が田のままでは移転登記をできなかつた関係から、宗教法人念法真教の本庁事務所において、執事岡村広道をして、右(三)の土地が非農地であることを証明されたい旨の木村義雄名義の非農地証明願書を作成させ、右願書を城東農業委員会に提出してその旨の証明をうけたのであるが、右願書を作成する際、木村義雄名下に同人より捺印をうけることなく、又改めて同人の承諾をうけることもなく、近くの文具店で購入してきた木村の認印を押捺したとの事実を認めることができる。そして、私文書偽造罪は、権限なくして他人の名義を冒用し、事実証明に関する文書を作成することによつても成立するのであるから、右認定の事実によると、被告人らの行為は一応同罪を構成するような外覧を呈している。しかしながら、前記認定のように、右文書が作成されたと認められる昭和三十一年五月十八日頃には、すでに右(三)の土地の所有権は北野惣太郎に移つていたのであるが、その売買契約を締結するに際し、木村義雄より北野惣太郎に対し、特に右(三)の土地のみにつき、北野惣太郎において如何ような取扱いをなすも木村義雄において一切異議がない旨の覚書と題する書面を差入れているのである。そして、右覚書が差入れられた事情について、木村義雄も木村富美代も特に記憶がない旨の供述をなし、同書面を代書した福井清鬼は他の債権者から何か云つて来た時の素人ごまかしのいわゆる素人書類と思つて、深く考えもせずに書いたと供述しているのであるが、被告人田中繁雄は、検察官の前においても(昭和三十三年五月十四日付供述調書)、又当公廷においても、自分は農地委員を長らくやつていて農地のことについては詳しいつもりでいる。右(三)の土地については地目は田であるけれども、地上に建物があつて現況は宅地である。租税の関係で当分田と云うことにしておいても、後日名義を変える時に手続等に書類がいる。それで特に(三)の土地だけについて右のような内容の覚書を作つて貰うよう福井司法書士に頼んだのである。従つて、非農地証明願書を作る時、改めて木村義雄の承諾をえていないけれども、すでにその以前に作成の権限が与えられていた旨の供述をなしているのである。そして、右のような被告人田中繁雄の供述と、当時特に(一)及び(二)の建物について作つていないのに、(三)の土地についてのみ覚書が作成されたということと、木村義雄らが北野惣太郎との約束に基き、早晩転居することになつていた事情とを併せ考えると、あながち右被告人田中繁雄の供述が虚偽であるとし排斥することは困難であろうと考えられ、少く共、当時北野惣太郎に、非農地証明願書を作成する権限がなかつたものとするには、なお合理的な疑あるものと考えられるので、この事実と従つて又それを行使した事実についても犯罪の証明が充分でないといわねばならない。

第二、偽証並びに偽証教唆の事実につき無罪の言渡をした理由(被告人田中及び同一瀬に関係のある分)

本件公訴事実の要旨は、被告人田中繁雄は、昭和三十二年四月二十三日、大阪市旭区新森小路南四丁目二百二十一番地木村帛方において行われた原告木村帛他一名被告北野惣太郎、宗教法人念法真教間の大阪地方裁判所昭和三十一年(ワ)第五二五一号、不動産所有権移転登記抹消登記請求事件につき同裁判所がなした証人尋問の際、証人として宣誓の上、前記第一記載の北野惣太郎の出資金は全部念法真教から出ており、自己において何ら出資をした事実がないのに、被告側の利益のため、釣池は北野と共同出資で経営する目的で自らは百万円を出資した旨虚偽の陳述をなし、以て偽証をなし、

被告人一瀬幸伍は、同年同月二十二日頃、同市南区難波新地三番丁四十五番地高橋吉久弁護士事務所において、田中繁雄に対し、前記の証人尋問の際には北野惣太郎との従前からの打合せに従つて釣池は北野と共同出資で経営する目的で自らは百万円出資した旨、虚偽の陳述をされたいと依頼して偽証を教唆し、同人をして右依頼に基き前記のような陳述をなさしめて偽証せしめたものである、というにある。

そこで考えてみるのに、原告を木村帛外一名、被告を北野惣太郎及び宗教法人念法真教とする大阪地方裁判所昭和三十一年(ワ)第五二五一号不動産所有権移転登記抹消登記請求事件につき作成された証人調書によると、被告人田中繁雄は、昭和三十二年四月二十三日、大阪市旭区新森小路南四丁目二百二十一番地木村帛方において施行された右事件の証人尋問の際、証人として宣誓した上、前記木村義雄と北野惣太郎との間の売買契約についての供述をしているのであるが、その供述の速記録には次のような質問及び供述部分のあることが認められる。

原告代理人「あなたはこの買入れ代金に対してあなたはお金を出しておりますか。」

被告人田中「だしております。」

原告代理人「どの位。」

被告人田中「百万円です。」

原告代理人「北野さんに貸しておられたんですか。」

被告人田中「はい。しかしもうもらいました。」

そして、右の質問及び供述を綜合すると、被告人田中繁雄が前記証人尋問の際、北野惣太郎から村木義雄に対し支払つた売買代金の内金百万円を、右北野に貸し与えたことがあるとの旨の供述をしていると認めて支障ないものと思われる。

ところが、第十六回公判調書中証人高橋吉久の供述記載、第十七回公判調書中証人神部太元の供述記載、第十八回公判調書中証人田畑政男の供述記載を綜合すると、前記証人尋問の際の速記原本には、右の「百万円です。」という被告人田中繁雄の供述部分が、「百万円という話です。」と速記されており、それを反訳して作成された速記録にも、当初はその旨の記載がなされていたのであるが、その後該速記録を閲覧にきた原告代理人より、「百万円という話です。」というのでは前後と照して意味が通じないし、自分の手控では「百万円出した、」と確言したようになつているから、「という話」を削除して「百万円です」と訂正してほしい旨の申し出があつたので、右速記を担当した速記官においてその旨訂正したとの事実を認めることができる。

ところで、偽証罪にいわゆる虚偽の陳述という場合の陳述とは、当該証人尋問などの際に現実になされたところの陳述を意味することはもとより当然であろうが、偽証事件について裁判するに際しては、すでにそれらのものが過去の出来事に属しているから、当該証人尋問調書の記載その他によつて、現実になされたところの陳述が何であるかを判断する外はないことになる。そしてその場合、書記官による要領筆記ならばともかく、本件のように、一言一句、すべての発言が速記されるいわゆる「ソクタイプ」による機械方式速記を用いている場合には、特別の事情のない限り、証人などの供述がそのまま符号になつて速記されているとみて差し支えないものと考えられる。このことは、「速記録については、誤字、脱字または反訳の誤がある場合のほか、訂正をさせないものとすること。」という速記事務運用に関する昭和三十二年十二月二十六日付最高裁判所訟一第四五八号最高裁判所事務総長通達及び速記の性質に照して首肯しうるところと考える。従つて、速記の正確性につき疑うべき特段の事情のない本件の場合には、速記原本に記入されたとおり供述がなされたものと認めるのが至当であろうと思われる。そうすると、前記供述部分は、

原告代理人「あなたはこの買入れ代金に対してあなたはお金を出しておりますか。」

被告人田中「だしております。」

原告代理人「どの位。」

被告人田中「百万円という話です。」

原告代理人「北野さんに貸しておられたんですか。」

被告人田中「はい。しかしもうもらいました。」

ということになり、原告代理人の「どの位」という質問に対する被告人田中の「百万円という話です。」との供述は、前後の供述との関係において、意味不明のものとして無視するの外なく、右供述部分は、「買入代金として支払うということで、北野惣太郎に対し金を貸したことがあるが、それはもう返して貰いました」という趣旨と認めるのが妥当であり、従つて北野惣太郎の陳述も又、その趣旨であつたと解すべきである。

そこで飜つて、被告人田中繁雄が北野惣太郎に対し、右のような金を貸したことがあるかどうかについて考えてみるのに、被告人ら三名並びに小倉由貴夫の検察官に対する各供述調書を綜合すると、前記(一)乃至(三)の不動産については、木村義雄と被告人北野惣太郎との間に売買契約が締結されているのであるが、被告人北野において右不動産を保持するつもりはなく、当初より宗教法人念法真教に転売する意図をもつており、同法人も又これを買受ける予定であつたところから、被告人北野惣太郎から木村義雄に対し支払われた代金はすべて同法人より支出されているのであるが、ただ、右代金の一部をもつて、前記(一)の建物につき近畿相互銀行の保有していた仮登記及び抵当権設定登記を抹消する際、不足した金十万円について、被告人田中繁雄から北野惣太郎に対し、一時立替交付されていたとの事実が認められる。そして、被告人田中繁雄において、前記証人尋問の際、そのような事実を忘却していたのでないことは、同人の前記供述調書の記載などよりして明らでかあるから、被告人田中繁雄の前記証人尋問の際の供述はこのことを述べているのではないかとも考えられ、果して「虚偽の陳述」をしたものかどうか多分に疑わしいというべきである。

そして、被告人一瀬幸伍の偽証教唆の事実については、すでに本犯である被告人田中繁雄の偽証の事実につき疑のある以上、教唆犯が独立して成立しないものと解すべきであるから、これ又その成立につき疑あるものというべきである。

第三、結論

以上説明のとおり、本件についてはいずれも犯罪の証明が充分でないことになるから、被告人ら三名に対し、それぞれその関係の事実について、刑事訴訟法第三百三十六条後段に従つて、無罪の言渡をすることにした。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 網田覚一 裁判官 西田篤行 岡次郎)

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